分泌物は生が機能している証
自身の意思が及ばぬ次元で日々繰り返し
体内で生成され排出されていく
寄せては返す波が運ぶものたちもまた
今年、引っ越しをした。歩いて15分で海に出る場所だ。愛犬ロコに言われるまま海まで散歩をして、海岸を歩くことが日常になった。新年1月1日快晴の朝、気持ちよく散歩に出かけたら、波打ち際で行ったり来たりしているツルツルしたものがあった。近付いて行くと、それは死んだシャチの子どもだった。衝撃的だった。
日々の海岸散歩で、気になる石や貝殻を拾っている。そのすぐ近くには動物の骨があり、また違う日にはネコの死骸があり、魚が何匹も打ち上げられていたりもした。あらゆるものがそこでは死んでいる。そうか、今拾ったばかりのこの貝殻も石も砂つぶも、すべて亡骸なのだと思う。
それらはゴミと絡まり、どこからが自然物でどこまでが人工物なのか判別できないことも多い。紐だと思うと海藻だったり、石だと思うとスチロールだったりというように。拾って帰ることもあれば、何となく見て見ぬふりをして帰ることもある。そうして昨日そこにあったものは、次の日には、また波にさらわれて海へと戻っていく。自然と人工、生と死が絡まった海の、地球の分泌物として。