火屋は、もとは香炉や手あぶりの上を覆う蓋や香炉そのものを指した。またその後はランプなどの火を覆うガラス製の筒の名称にも使われた。江戸時代には針金を編んで作った鉢植え植物の保護装飾具のことも火屋と呼び、珍しく高価な植物に被せて保護するとともに格調高く展示する役割も果たした。
中学生の頃、祖父が板金屋に依頼して30cm程の四角い焼き網を縦に3枚つなげた鳥籠を作ってもらい、その籠でヤマガラを飼っていた。この時の見慣れた焼き網から作り出された鳥籠とその空間が強く印象に残った。
大学卒業後に園芸店で働いていた時に松葉蘭に出会い、その変わった姿に興味を持ち調べてみると江戸時代に大いに流行ったことがわかった。その時に万年青や石斛などとともに、針金を編んで作られた火屋の絵を見た記憶があった。その後、京都に行った時にたまたま京金網の店の前を通りかかった際、初めて実物の火屋を見た。その姿に惹かれて、いつかは銅や鉄の針金を自分で編んで作品に取り込みたいと思った。
そう作家は話す。それらが今回、制作した「火屋盆景」につながった。通気性、光透過性を確保しながら材料に形を与えて、空間を限定し取り込む意識から生まれた作品だそうだ。過去に得た経験が、長い時を経て美しく花開く。「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯の今」とは河井寛次郎の言葉だが、過去が今に、真摯に制作に向かう現在が未来へと続いていくのだと、ひとしきり頷いた。