相似の庭II

山本 一弥 展

2011.12.10(土)-12.25(日)



偶然できた服のひだをモチーフとし取り入れ、シンメトリーに形づくる。そのドレープ自体が人間の身体に沿ったところから発生しているからか、妙な身体性を帯びてそこにある。在る? そこにはっきりと在るはずなのに、不在そのものの象徴のように、現実感を欠き、そこに「在るようにみえる」。それは、透明樹脂という素材の所為だけではないだろう。

「掴めるような、掴めないようなものを作りたい」と山本は言う。事実、花やハイヒールなど、原型が推測するに能う例も中にはあるが、殆どは淡く黙し、自らが何物であるかは語ろうとしない。既にドレープは反復され、解体され、目の前で何物でもなくなっている。

軽やかで端然としながら同時に、深海に住む生物を見た時の一瞬ぎょっとするような異形の美しさをも持ち合わせ、そこはかとなくエロティシズムが匂いたつ。意味を超えたフォルム。しかし自ら名乗らないからこそ、イメージは足枷なく往来することができるのだろう。生まれつづける泡、幾重にもひらく花びら、少女の内にみる太母、人知れぬ祝祭、口に含むとひんやり芳しいもの…。

お互いひっそりと息継ぎをして、空気を振るわせる。そっと触れ合う波紋の裾もと。凪いだ心地にいつの間にか寄せては返す。私たちは、思考を支配する甘やかな 混乱 に身をゆだね、いま、やわらかなひだの一ひらに滑り込む。そして目醒めたまま、ユメをみる。うっとりと。
R・E