実体のない心、姿を変え続ける波、虚ろを抱えた身体…湯浅未浦は、木彫でそれらを表現する。そう、人もカタチを留めることはない。瞬間、瞬間、細胞は入れかわり変化する。ノミを入れた感覚を頼りに、変わりゆくカタチを問い、捉える。判断を下す自分もまた、不可逆の流れに身を投じた変化を続ける身体。今日の自分だからこそ、彫ることのできるカタチがある。
あらかじめイメージを固めて臨むのではない。頭で考えることには限界があり、超えられないものがあるからだ。即興の音楽を奏でるように作品に向かう。「木を素材に選んだのは、素材に直接触れて制作できるから。つくったものがそのまま作品になるのも魅力」と作家。朽ちていきながらも育っていくイメージが付随するのは、植物と人間が同化しているようにも見えるからだろう。
流れる時間の中、どこもかしこも不確かなヒトガタが囲う、愚かしさや儚さ、慈しみや祈りの思いをすくい上げる。「自分」など所詮、細胞たちの生み出した共同幻想なのではないか。有機も無機もすべてが、だれかだったし、なにかだった。いまを赦されて、水や煙や骨よりも、さらに小さく小さく解かれてを、繰り返し繰り返し。